きょうのカシクマ紀行 / 十勝鉄道の載っている地図
皆さまこんばんは。
札幌は爽やかな季節を迎えましたが、朝晩は冷え込む日もあります。まだ窓を空けて寝られる季節ではありません
今月に入り復活したカシオペアは、既にDD51の車籍がないため、道内はDF200の牽引となります。そんなきょう、撮影に行って来ました
いつもなら同業者を見かけることも滅多にないポイントですが、きょうは小生も含め5人と、繁盛しています
まずは集約臨
![DC183syrIMG_4824-3.jpg]()
キハ183系6B(スラント-坊主) 8031D(集約臨) 2016-06-12(以下同じため省略します)
先日ここで撮影した集約臨8032Dは5連でしたが、きょうは6連で運転です。中学校の校数やクラス数などで調節するのでしょうね
通過する1分位前にタイフォン鳴らしていましたから、手前のポイントでカシクマ紀行のためにカメラ構えていた同業者がいたのでしょうね。ここでもほぼ全員が踏切遮断機内方に入っています(小生は外です、念のため)が、どの列車も警笛一つ鳴らさないで通過しますので、よほど他ではひどいのでしょうね
バックショット
![DC183bzsyrIMG_4826-27.jpg]()
坊主登場です。この塗色は悪くないですが、特急マークが外されているのが玉にキズですね
そして本命登場です!
![casDF120IMG_4834-27.jpg]()
DF200-120+E26系電車 カシオペア紀行
長い編成なので心配しましたが、ぎりぎり架線柱を躱すことが出来ました。因みに同業の皆さまの背後から撮影していますので、遮断機の外側に脚立を立ててその上に乗って撮影しています。
乗務員の数が多いのが目立ちますね。それと、DD51重連の時は苦しそうにエンジン全開でやって来ましたが、クマは余裕でやって来ました
120号機といえば、カシクマの習熟運転で最初に起用されたカマですね。調子の良いカマだとか。
バックショット
![casDF120IMG_4836-2.jpg]()
車両限界一杯につかったDF200と、やはり車体の断面の大きいE26系客車とは、良く似合っていると思います。今から思うと、北斗星はともかく、カシオペアとDD51はいまいちだったのではないでしょうか
もう一枚
![casDF120IMG_4838-2.jpg]()
最後尾が丸いカシ客車はバックショットが好みではないので、きょうもアップしません
. * * *
きょうの小ネタ。
小生が中学生の頃、社会科の教師が当時の建設省国土地理院の許可を得て複製し、教材として使っていた地図です。帯広図幅に広尾線・士幌線に加えて十勝鉄道も載っていたので、ここにお目にかけます。十勝地方に単身赴任中のhamusutarさまが廃線跡を探索していらっしゃるという記事を見て、思い出しました
![16061100帯広5万-4]()
この地図は国土交通省国土地理院五万分の一地形図 帯広 図幅 を使用したものである
当時の国鉄は、帯広駅を起点に十字のように広がっていて、東西が根室本線、そして南に広尾線が、北に士幌線が十勝三股まで延びていました。そして帯広駅前から真南に日甜製糖工場まで延びているのが十勝鉄道で、この区間は国鉄貨車の直通出来る1067mmゲージとナローゲージ(狭軌)の共有軌条で、青函トンネル内の新在共用区間みたいなものと考えればいいでしょう。工場前以南はナローゲージのみで、戸蔦が終点でしたが、支線もいくつかあったようです。
ところでこの地形図がいつ発行されたものか、資料に明記してありませんでしたが、国土地理院の承認番号が昭和48年の番号でしたので、それ以前ということになります。工場前駅以北の廃止が1977年、以南の廃止が1959年なので、少なくともそれ以前の地図ということになります。
当時の地図を見ているだけで、いろいろ想像出来て楽しいですね。
きょうも最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。
札幌は爽やかな季節を迎えましたが、朝晩は冷え込む日もあります。まだ窓を空けて寝られる季節ではありません
今月に入り復活したカシオペアは、既にDD51の車籍がないため、道内はDF200の牽引となります。そんなきょう、撮影に行って来ました
いつもなら同業者を見かけることも滅多にないポイントですが、きょうは小生も含め5人と、繁盛しています
まずは集約臨

キハ183系6B(スラント-坊主) 8031D(集約臨) 2016-06-12(以下同じため省略します)
先日ここで撮影した集約臨8032Dは5連でしたが、きょうは6連で運転です。中学校の校数やクラス数などで調節するのでしょうね
通過する1分位前にタイフォン鳴らしていましたから、手前のポイントでカシクマ紀行のためにカメラ構えていた同業者がいたのでしょうね。ここでもほぼ全員が踏切遮断機内方に入っています(小生は外です、念のため)が、どの列車も警笛一つ鳴らさないで通過しますので、よほど他ではひどいのでしょうね
バックショット

坊主登場です。この塗色は悪くないですが、特急マークが外されているのが玉にキズですね
そして本命登場です!

DF200-120+E26系電車 カシオペア紀行
長い編成なので心配しましたが、ぎりぎり架線柱を躱すことが出来ました。因みに同業の皆さまの背後から撮影していますので、遮断機の外側に脚立を立ててその上に乗って撮影しています。
乗務員の数が多いのが目立ちますね。それと、DD51重連の時は苦しそうにエンジン全開でやって来ましたが、クマは余裕でやって来ました
120号機といえば、カシクマの習熟運転で最初に起用されたカマですね。調子の良いカマだとか。
バックショット

車両限界一杯につかったDF200と、やはり車体の断面の大きいE26系客車とは、良く似合っていると思います。今から思うと、北斗星はともかく、カシオペアとDD51はいまいちだったのではないでしょうか
もう一枚

最後尾が丸いカシ客車はバックショットが好みではないので、きょうもアップしません
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きょうの小ネタ。
小生が中学生の頃、社会科の教師が当時の建設省国土地理院の許可を得て複製し、教材として使っていた地図です。帯広図幅に広尾線・士幌線に加えて十勝鉄道も載っていたので、ここにお目にかけます。十勝地方に単身赴任中のhamusutarさまが廃線跡を探索していらっしゃるという記事を見て、思い出しました

この地図は国土交通省国土地理院五万分の一地形図 帯広 図幅 を使用したものである
当時の国鉄は、帯広駅を起点に十字のように広がっていて、東西が根室本線、そして南に広尾線が、北に士幌線が十勝三股まで延びていました。そして帯広駅前から真南に日甜製糖工場まで延びているのが十勝鉄道で、この区間は国鉄貨車の直通出来る1067mmゲージとナローゲージ(狭軌)の共有軌条で、青函トンネル内の新在共用区間みたいなものと考えればいいでしょう。工場前以南はナローゲージのみで、戸蔦が終点でしたが、支線もいくつかあったようです。
ところでこの地形図がいつ発行されたものか、資料に明記してありませんでしたが、国土地理院の承認番号が昭和48年の番号でしたので、それ以前ということになります。工場前駅以北の廃止が1977年、以南の廃止が1959年なので、少なくともそれ以前の地図ということになります。
当時の地図を見ているだけで、いろいろ想像出来て楽しいですね。
きょうも最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。