廃線跡探検の積もりが、キハ141系のオマケが(笑)
皆さまこんばんは。
先週は週半ばから東北地方へ出張で、合間を縫って3051レや同和鉱業小坂鉄道の廃線跡などの探索が出来ました。
帰りは花巻空港から航空機で札幌まで帰って来たのですが、待ち時間があったので、花巻から出ている釜石線の廃線跡を見ることにしました
釜石線は元々岩手軽便鉄道という私鉄で、花巻出身の童話作家、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」もこの軽便鉄道をモチーフにしています。ボールドウィンなどの豆SLがピョーという甲高い汽笛をさせて、木造の客車を牽いて走っていた路線も、宮沢賢治が1933に亡くなった後、終戦前にJRと同じ軌道幅に改軌され、かつての味わいはなくなってしまいました
しかし、よほどしっかり作られた鉄道だったのか、沿線に何箇所か当時の名残りが見られます。
飛行機の待ち時間、ちょっくら見に出かけました
まずは鱒沢隧道(トンネル)
![masuzawaIMG_6015-2.jpg]()
釜石線 宮守-柏木平 2016-07-31(以下同じため省略します)
釜石線の線路が左側ですが、その右側に古いトンネルが見えています。これが岩手軽便鉄道時代のトンネルです。
トンネルへ接近します
![masuzawaIMG_6032-2.jpg]()
煉瓦積みのポータルを有する、トンネルです。地山の地質もいいのでしょうが、きちんとした工作だったと見え、いまだに途中崩壊などなく、反対側の坑口がきれいな形で見通せます。全長は302mということです
アップで見ます
![masuzawaIMG_6042-2.jpg]()
若干の白化がありますので、傷み始めてはいますが、まだまだ現役でも補修しながらでは使えそうに見えます。なんと、軽便鉄道時代のボールドウィン蒸気機関車の煤が、いまだにトンネル上部についています。
そういえば、千歳線旧線が札幌市内で国道12号線をくぐるところに、いまだに陸橋が残っていますが、陸橋の下に入って見ると、いまだにD51やC57などのSLの煤が残っていたのを思い出しました。炭素は安定性がいいのですね…
今度は宮守川橋梁へ移動です
全体像はこういう感じ
![miyamorobrIMG_6003-2.jpg]()
釜石線 宮守-柏木平
背後のアーチ橋が釜石線、手前に三本見えている橋脚が岩手軽便鉄道時代のものです。当時はアーチ橋ではなく、普通の桁橋だったようですね
仙人峠(釜石)側のたもとを見てみます
![miyamoribrIMG_5998-2.jpg]()
地面から相当比高のある橋梁だったと思われます。桁は全く残っていませんが、木造だったのか、それとも金属製だったのか。木造だったら、とうに朽ちているでしょうし、金属製だったとしても、改軌がこのあたりは1943年という戦時中だったので、金属供出で撤去即供出だったはずです
中央の橋脚の先端です
![miyamoribrIMG_5995-1.jpg]()
しっかりした造りで、東日本大震災にも耐え、残っています
この橋脚(ピア)の全体像です
![miyamoribrIMG_5999-1.jpg]()
美しいですね。釜石線橋梁からこの頂上に飛び降りられそうに見えますが、その後はどこにも移動できません(笑)
そして最後の遺跡は宮守隧道(トンネル)
![miyamori1IMG_5969-24.jpg]()
釜石線 岩根橋-柏木平
現在の釜石線は、この左手の土手の向こうにありこの軽便時代の坑口とは少し離れています
接近してみます
![miyamoriIMG_5987-2.jpg]()
先ほどの鱒沢隧道に劣らず、こちらもしっかりした造りで、向こうの坑口が見えています。全長は322mだそうです
ポータルもそうですが、出入り口脇の土留の石積もしっかりしていて、丁寧に造られた路線だとわかります。岩手軽便鉄道建設時に、岩手県から補助金が相当投入されたそうで、その辺も関係しているのかも知れません。これ以後開通した国鉄路線の廃線多くが崩壊などで原型を留めていないものも多いことから、よほど確かな工作だったのかと思います
トンネルの坑口前から、反対側を振り返ります
![miyamoriIMG_5988-24.jpg]()
この堀割を、軽便鉄道の機関車が走っていたのです。この先左カーブの途中で、現在線と合流しますが、夕陽を受けて良く写っていません
トンネル探索を終えてレンタカーを停めたところへ戻って来ると、付近で人だかりがあります。比較的若い女性に何があるんですか?と訊ねると、「SL来るって」。大分先でしょうか?と訊ねると、「いま宮守駅に停車しているから、もうすぐだよ」
あれ、鉄道ファンの小生よりも詳しいですねえ
これは儲けもの!と待つこと数分でやって来ました!
![C58239IMG_5954-3.jpg]()
C58 239+キハ141系気動車4連 釜石線 岩根橋-宮守
ローカル線には、軸重の軽いC58が似合ってますね。
接近します
![C58239IMG_5956-23.jpg]()
でもこの牽かれている気動車って、前面のデザインが…
そう! かつてオハフ51を改造して札沼線で通勤通学輸送に使われていた、JR北海道からJR東日本に払い下げられた気動車ではないですか! まさか出張先でJR北海道の気動車に出会うとは。
バックショット
![C58239IMG_5957-1.jpg]()
C58のテンダーが見えていますね。
多くのファンの目的はSLですが小生は…
![C58239IMG_5959-1.jpg]()
気動車が目的です(笑)
陸中大橋-上有住-足ヶ瀬の上り勾配区間では、SLと気動車の協調運転が行われていますので、この気動車も単なる客車ではなく、現役気動車です
最後尾
![C58239IMG_5960-2.jpg]()
まさしくキハ141系の顔です。この仲間のキハ143が現在も千歳線と室蘭線で走っています。
もう一枚
![C58239IMG_5963-23.jpg]()
この右カーブの向かって右奥の方に、先ほど探索した軽便鉄道時代のトンネル入口がありますが、樹木の陰になってここからは見えません
それにしてもファンの人だかりがなかったら、SL+気動車の存在に気づかないところでした。いつもは譲り合いで苦労する同業者ですが、この時ばかりは助かりました。それにしても旧トンネル探索中に現在線をSLが駆け抜けていたら、本当に後悔していたでしょうね…
きょうはこれで終わりです。
前記事にコメントの形でも入れましたが、きょうの札タ構内苗穂出場車置場はカラです
先週は週半ばから東北地方へ出張で、合間を縫って3051レや同和鉱業小坂鉄道の廃線跡などの探索が出来ました。
帰りは花巻空港から航空機で札幌まで帰って来たのですが、待ち時間があったので、花巻から出ている釜石線の廃線跡を見ることにしました
釜石線は元々岩手軽便鉄道という私鉄で、花巻出身の童話作家、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」もこの軽便鉄道をモチーフにしています。ボールドウィンなどの豆SLがピョーという甲高い汽笛をさせて、木造の客車を牽いて走っていた路線も、宮沢賢治が1933に亡くなった後、終戦前にJRと同じ軌道幅に改軌され、かつての味わいはなくなってしまいました
しかし、よほどしっかり作られた鉄道だったのか、沿線に何箇所か当時の名残りが見られます。
飛行機の待ち時間、ちょっくら見に出かけました
まずは鱒沢隧道(トンネル)

釜石線 宮守-柏木平 2016-07-31(以下同じため省略します)
釜石線の線路が左側ですが、その右側に古いトンネルが見えています。これが岩手軽便鉄道時代のトンネルです。
トンネルへ接近します

煉瓦積みのポータルを有する、トンネルです。地山の地質もいいのでしょうが、きちんとした工作だったと見え、いまだに途中崩壊などなく、反対側の坑口がきれいな形で見通せます。全長は302mということです
アップで見ます

若干の白化がありますので、傷み始めてはいますが、まだまだ現役でも補修しながらでは使えそうに見えます。なんと、軽便鉄道時代のボールドウィン蒸気機関車の煤が、いまだにトンネル上部についています。
そういえば、千歳線旧線が札幌市内で国道12号線をくぐるところに、いまだに陸橋が残っていますが、陸橋の下に入って見ると、いまだにD51やC57などのSLの煤が残っていたのを思い出しました。炭素は安定性がいいのですね…
今度は宮守川橋梁へ移動です
全体像はこういう感じ

釜石線 宮守-柏木平
背後のアーチ橋が釜石線、手前に三本見えている橋脚が岩手軽便鉄道時代のものです。当時はアーチ橋ではなく、普通の桁橋だったようですね
仙人峠(釜石)側のたもとを見てみます

地面から相当比高のある橋梁だったと思われます。桁は全く残っていませんが、木造だったのか、それとも金属製だったのか。木造だったら、とうに朽ちているでしょうし、金属製だったとしても、改軌がこのあたりは1943年という戦時中だったので、金属供出で撤去即供出だったはずです
中央の橋脚の先端です

しっかりした造りで、東日本大震災にも耐え、残っています
この橋脚(ピア)の全体像です

美しいですね。釜石線橋梁からこの頂上に飛び降りられそうに見えますが、その後はどこにも移動できません(笑)
そして最後の遺跡は宮守隧道(トンネル)

釜石線 岩根橋-柏木平
現在の釜石線は、この左手の土手の向こうにありこの軽便時代の坑口とは少し離れています
接近してみます

先ほどの鱒沢隧道に劣らず、こちらもしっかりした造りで、向こうの坑口が見えています。全長は322mだそうです
ポータルもそうですが、出入り口脇の土留の石積もしっかりしていて、丁寧に造られた路線だとわかります。岩手軽便鉄道建設時に、岩手県から補助金が相当投入されたそうで、その辺も関係しているのかも知れません。これ以後開通した国鉄路線の廃線多くが崩壊などで原型を留めていないものも多いことから、よほど確かな工作だったのかと思います
トンネルの坑口前から、反対側を振り返ります

この堀割を、軽便鉄道の機関車が走っていたのです。この先左カーブの途中で、現在線と合流しますが、夕陽を受けて良く写っていません
トンネル探索を終えてレンタカーを停めたところへ戻って来ると、付近で人だかりがあります。比較的若い女性に何があるんですか?と訊ねると、「SL来るって」。大分先でしょうか?と訊ねると、「いま宮守駅に停車しているから、もうすぐだよ」
あれ、鉄道ファンの小生よりも詳しいですねえ
これは儲けもの!と待つこと数分でやって来ました!

C58 239+キハ141系気動車4連 釜石線 岩根橋-宮守
ローカル線には、軸重の軽いC58が似合ってますね。
接近します

でもこの牽かれている気動車って、前面のデザインが…
そう! かつてオハフ51を改造して札沼線で通勤通学輸送に使われていた、JR北海道からJR東日本に払い下げられた気動車ではないですか! まさか出張先でJR北海道の気動車に出会うとは。
バックショット

C58のテンダーが見えていますね。
多くのファンの目的はSLですが小生は…

気動車が目的です(笑)
陸中大橋-上有住-足ヶ瀬の上り勾配区間では、SLと気動車の協調運転が行われていますので、この気動車も単なる客車ではなく、現役気動車です
最後尾

まさしくキハ141系の顔です。この仲間のキハ143が現在も千歳線と室蘭線で走っています。
もう一枚

この右カーブの向かって右奥の方に、先ほど探索した軽便鉄道時代のトンネル入口がありますが、樹木の陰になってここからは見えません
それにしてもファンの人だかりがなかったら、SL+気動車の存在に気づかないところでした。いつもは譲り合いで苦労する同業者ですが、この時ばかりは助かりました。それにしても旧トンネル探索中に現在線をSLが駆け抜けていたら、本当に後悔していたでしょうね…
きょうはこれで終わりです。
前記事にコメントの形でも入れましたが、きょうの札タ構内苗穂出場車置場はカラです